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執筆者
shimpei
細川真平 1964年生まれ。音楽ライター/エディター。
ジェフ・ベック、スティーヴィー・レイ・ヴォーン他のCD/DVDのライナーを手がける。また、音楽誌、ギター誌、ウェブ等にも幅広く執筆。
ギターは絶対ストラト主義。
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『テキサス・フラッド』30周年にまつわる個人的な思い
2012年12月24日
年末ですね。
振り返ってみると今年もいろんなことがありました。
が、いちいち思い出せないので、思い出さないままに来年を迎えようと思います(笑)。

しかし、今年のことは思い出さないのに、昔のことはよく覚えている……というのが年を取った証拠でしょうか。
2013年3月にスティーヴィー・レイ・ヴォーンのデビュー・アルバム『テキサス・フラッド〜ブルースの洪水』の30周年記念盤がリリースされることになり、なんだか最近、当時のことをよく思い出します。

このアルバムが出た'83年、僕は浪人中でした。
瀬戸内海に面した小さな市にある僕が通っていた高校には、“補習科”という名で、浪人生が通うクラスがありました。田舎なので、予備校がないためにそういう制度ができ上がったのでしょう。

スティーヴィーのアメリカでのデビューは6月ですが、あのころは国内盤は2ヶ月ぐらい遅れてリリースされていたので(これまた田舎なので、輸入盤は売っていませんでした)、僕がそれを手にしたのは8月ぐらいだったのではないかと思います。
自転車の前かごに買ったばかりのLPを入れて、大汗をかきながら家に帰り、盤にそっと針を落とし、スピーカーから飛び出してきたスティーヴィーのギター・プレイにしびれました。
そして、それ以来、しびれっぱなしです。

その前からデヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』への参加で彼は話題を呼んでいましたし、ギター誌にも写真や記事が出ていました。
でも僕はすでにその前年、FENでライヴ音源を聴いて彼のことを知っていました。
ただし、名前が聞き取れなくて、“スティーヴィー・レボ”だと思っていたのですが(正しい名前が分かったのは、『レッツ・ダンス』でのことでした)。
そういうこともあって、『テキサス・フラッド』の発売は、僕にとって本当に待ちに待ったものだったのです。
と、このあたりの話は、これまでにもいろんなところで(スティーヴーのCDのライナーノーツも含めて)書いてきましたので割愛します。

その『テキサス・フラッド』は今でも僕の愛聴盤なので、聴くたびにいちいち当時のことを思い出すということはないのですが、“30周年記念盤”と言われると、やはりいろんな思い出がよみがえってきます。

あのころ抱いていた喜び、悲しみ、悔しさ。
希望、憧れ、焦燥、不安。
殺風景な街の風景、長い時間を過ごした喫茶店、夕暮れの浜辺、穏やかな瀬戸内海、潮の香り、そのとき隣りにいた人のこと。
教室、先生、友人たち。

僕が補習科も含めて4年間も通ったその高校の校舎は、もうじき建て替えのために取り壊されることになったそうです。
『テキサス・フラッド』30周年の年に、あの校舎もなくなってしまうのか、なんて、これは僕だけの胸に秘めた感慨ですが……。

1月2日には、取り壊し前の校舎内一般公開があるそうです。
そのためにこのお正月は、久しぶりの帰省をしようかと思っています。
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新説:ヴィンテージ・ギターとは○○○だった!
2012年12月11日
今回はヴィンテージ・ギターについて、いつもどおり適当にダラダラと語ってみたいと思います。

ヴィンテージ・ギターは、1本1本状態や音が違います。
製造されてから何十年も経った楽器が、すべて同じ状態のわけはありません。
ということは、すべての個体がいい音がするということも、あるわけがないということになります。
そう考えると、“ヴィンテージ=いい音”という方程式はまったく成り立たないということが分かりますよね。

ただ、昔のほうがいい材が豊富にあったということは言えると思います。
また、今では伐採してはいけないハカランダを普通に使えていた、というような事情もあるでしょう。
だからと言ってヴィンテージが絶対にエライということにはなりませんが。

ただ、いま生き残っている個体にはそれなりの理由があるとも思うのです。
たとえば、ハズレの材が使われていて、頑丈でないものは、どこかの時点で壊れてダメになっていたでしょう。
何かの理由であまり音が良くないものは、大事にされることなく、やはりどこかの時点で壊れたままほっぽり出されるとか、捨てられるとか、バーの看板代わりに使われて朽ち果てるとか(笑)したでしょう。
つまり、生き延びているということは、頑丈で、音が良い(と、少なくとも使った人には思われた)個体である可能性は高いと言えます。

そうなると、ヴィンテージ・ギターとは、基本は当たりのギターだったのではないかという気がしてきますね。
とは言え、冒頭に書いたように経年変化や、使われ方、弾かれ方などの様々な事情によって、状態や音は1本ずつ違いますし、人の好みだって千差万別ですから、ヴィンテージ・ギターはすべて音がいい、とはやっぱりいかないんですが……。

ところで、“生き延びているということは、頑丈で、音がいいギター”と書きましたが、もちろん中には、そうでもないのに偶然に偶然が重なって生き延びたギターもあるかもしれません。
邪魔なので捨てようとしたら粗大ゴミ収集が有料になるというのでしぶしぶ取っておいたとか、たまにケースから出して眺めるだけが趣味の人のもとばかりをたまたま転々としてきたとか、未来からタイムマシンで来た子孫に“何があっても取っておきなさい”と耳もとでささやかれたとか(笑)。

だから、もしヴィンテージ・ギターを弾いて音が良くないなと思ったら、音が悪いにもかかわらず今まで生き延びてきた幸運なギターとして、お守り代わりにするのもいいかもしれません。
あ、ろくに弾きもしないお金持ちの収集家たちは、ヴィンテージ・ギターをお守り代わりにしているのか。
やっと分かりました(笑)。
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