使い込まれたギターが発するオーラには、ひれ伏したくなるときがある。
優れたギタリストほど、「ギターは道具だ」と言い放つ。
しかし、その単なる「道具」から、すさまじいオーラを感じることは多々あるのだ。
先週、いくつか取材があり、2本のギターからそんなオーラを感じた。
まずはフィリップ・セイス。
彼は30歳、セカンド・アルバムが出たばかりの、ギタリスト/シンガー。
すごく単純に言えば、ジミ・ヘンドリックス、スティーヴィー・レイ・ヴォーンの後継者的存在だ。
彼のストラトは'63年製。
それを手に取らせてもらった(少し弾かせてもらった)。
このギターのボロボロ具合は類を見ない。
ボディ上部に大きな塗装の剥げがあるのだが、実際に見ると剥げているだけではなく、大きくえぐれているのだ。
激しいピッキングのせいだという。
ネックの裏も使い込みすぎて、木が波打っている。
もう本当に、状態だけを見ればスクラップ間近のポンコツと言ってもいいだろう。
ところが、そこから出ているオーラは格別だった。
その2日前に彼のライヴを観、このギターの素晴しい音を聴いているからよけいそう思うのだろうが、フィリップの魂が、そして同時にロックやブルースの音霊(これはぼくの造語だが、言霊ではなく、音霊)が、このボロボロのギターにこもっている気配がむんむんとした。
そしてその翌日、日本を代表するギタリストのひとり、鈴木茂へインタヴュー。
これは当TARGIE用のスペシャル・インタヴューだったので、近いうちに動画でアップできることと思う。
彼が持ってきてくれたのはもちろん、フィエスタ・レッド(少しオレンジっぽい赤色)の'62年製ストラト。
アルバム『BAND WAGON』を初めとして、数々の彼の名演を支えてきたギターだ。
細かい仕様や改造歴などを、ご本人から説明していただいた。
いい演奏をいい音で行う/録るために、手を入れ続けているのだろう。
そういう意味で、このギターはまさにプロの道具だ。
けれども、いや、だからこそと言うべきか、ここからも圧倒的なオーラが立ち昇っていた。
'62年フィエスタ・レッド・ストラトは“鈴木茂のトレードマーク”というような言い方をついしてしまうのだが、けっしてそんな簡単なことじゃないのだろうと思う。
比喩的な意味ではなく、このギターは彼の体の一部なのだと思うし、それはつまり、彼の魂の一部だということではないだろうか。
フィリップ・セイスと鈴木茂のストラト。
それらは、本当に幸せなギターたちだと思う。