六弦一会:
無題
2012年06月08日
やることもなく昼間からダラダラと酒を飲む生活をしていると、自分のレゾンデートルがどんどん失われていく気がする。その悔しさすら酔いの中にひたすら溶け込んでいき、例えば嫉妬や、羨望や、不満や、憎しみや、悲しみも、時たま闇の中に明滅するほのかな灯りのようでしかなく、しかも通常であれば忌み嫌うようなそれらの感情にすら、何らかの生きている意味を示唆されているような親しみを覚えるようになっていく。
CDのライナーノーツなどで、プロの物書きが「かっこいい」という表現をしているのを読むと腹立たしい。「この曲のギター・ソロはかっこいい」などと書いてある。
ギター・ソロなんてもともとかっこいいんだよ。ギターなんてもともとかっこいいんだよ。ロックなんてもともとかっこいいんだよ。その「かっこいい」の中身(フレーズ、奏法、特殊な技、サウンド、感情、背景、その他)であるとか、他のギタリストの「かっこよさ」とどう違うのかとか、他の曲のソロとはどう違うのかとか、そういうもろもろのことを書かないとなんら意味はないと思う。その文章に対してお金を払ってもらっている以上(どんなに原稿料が安かろうと)、無料で読める音楽ブログと同じクオリティでいいわけがない。
僕はそういう部分に全てを懸けている。そうできていると言っているわけではないし、自分はすごいと言っているわけでもない。ただ、そうしようと最大限の努力をしている、と言っているのだ。だって、かっこいいものを「かっこいい」と書いて終わりにしたら、自分のレゾンデートルは消滅するしかないではないか。それがレゾンデートルなどという大げさなものではなく、くだらない意地でしかなかったとしても。
だが、PINK CLOUDは「かっこいい」で終りにしたいバンドだった(もちろん、改名前のJOHNNY, LOUIS & CHARも同じだ。ただ、僕が初めて彼らを観たのはPINK CLOUDになってからだったのであえてこう言っている)。
解散後に出た『BOOTLEG』というライブ・オムニバス・アルバムが大好きだ。ここに収録された「Last Night」の終盤、“Last Night〜”というコーラスが続いている中で、Charが“Hey Johnny, what are you doing?”とアドリブで歌い、ジョニーが笑う。ジョニーが決めのタイミングを間違えたか何かなのだろうが、この部分を聴くと「かっこいい」としか言えない。これ以上の説明はできない。説明する必要はないし、説明しても分からない(きっとこれを読んでも聴いていない人には分からないはずだ)。そんなことが彼らの音楽と関係あるのかと言いたい人もいるだろう。でも、ロックなんて純粋に音楽のみで語れるようなもんじゃないだろう?
そういう「かっこよさ」が多すぎるバンドがPINK CLOUDだった。僕は彼らのいくつかのDVDのライナーノーツを書いているけれど、執筆中にこれほどまでに「最高にかっこいいから、とにかく観なよ」で終りにしたいと思ったことはない。消滅しそうな僕のレゾンデートルを、最後の最後で繋ぎとめておくだけで精一杯だった。
結局、レゾンデートルなどというものは、エゴと同じだ。なくても生きていけるし、むしろないほうが生きていきやすい。酔いつぶれていく中で、それらをなくすことは快感だと分かった。
なるようにしかならないのが人生だろう。成功した人間たちの自慢話はもう聞き飽きた。太った偉そうなやつらの面は見飽きた。お前らはかっこよくない。くたばったジョニーはかっこよかった。僕は酔いの絶頂の中で、「Last Night」でのジョニーの笑い声をまた聴く。
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