六弦一会:
ウッドストックでの「アメリカ国歌」
2012年08月20日
1969年8月15〜17日、アメリカ・ニューヨーク州ベセルで、ウッドストック・フェスティヴァルが行われました。
トリのジミ・ヘンドリックスが出たのは18日の朝となってしまいましたが。
ここでジミが演奏した「アメリカ国歌」はこのフェスの象徴となりました。
もっと言えばヴェトナム戦争の泥沼にはまっていた当時のアメリカの象徴であり、60年代という時代そのものの象徴だったかもしれません。
ちなみに、この演奏の中でジミがフィードバック・サウンドで表しているのは、ヴェトナムでの空爆の音だったと言われています。
音楽的な観点から見ると、この演奏のみがやたらと取り上げられのは、ジミにとってもこのフェス全体にとってもどうなのだろう? という気がしないでもありません。
ただ、この曲がジミにとって大きな意味を持っていたことだけは確かです。
多くの人は、彼がウッドストックで初めてこの曲を演奏したと思っているようですが、そうではありません。
これ以前からステージで取り上げており、「国歌」をこんな風に演奏するとは、と非難をされ、妨害行為すら何度も受けています。
それでも彼は演奏し続けたのです。
ジミは'61〜'62年、アメリカ軍のパラシュート部隊に所属しました。その部隊は'65年にヴェトナムに送られています。ジミと共に訓練を受けた友人たちが、ヴェトナムで散っているのです。
そういうことを考える時、ジミが演奏した「アメリカ国歌」の重さがより感じられると思います。
もうひとつ考えてみたいことがあります。
当時、ヴェトナムの最前線に行かされた兵士は、黒人や(白人も含む)貧困層が多かったと言われています。富裕層の白人の子息は後方部隊に配属されたり、国内勤務ということすらありました。また、カナダへ移住して徴兵逃れをした人たちもいました。
ジミのファンは多くが白人でした。つまり彼は、ヴェトナムの最前線に送られる可能性のない、もしくは少ない、もしくは徴兵逃れをする手立てを持っている人たちの前で、毎晩演奏を続けたわけです。
ウッドストックの聴衆も、圧倒的に白人でした。マリファナに酔って「ラヴ&ピース」と叫んでいる、白人ヒッピーたちがほとんどでした。
彼らの前で、ジミがどんな気持ちで「アメリカ国歌」を演奏したのか。
何があそこまで過激なサウンドとプレイを生み出したのか。
想像を巡らせると、胸が詰まるような気がしてしまいます。
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