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――鮎貝健:まず私の方からいくつか代表質問をさせていただきたいと思います。昨年、2007年11月にベスト・アルバムの『マザーシップ〜レッド・ツェッペリン・ベスト』と歴史的なライヴ・アルバム『永遠の詩(狂熱のライブ)〜最強盤』が発売、そして12月には一夜限りの再結成ライヴが実現したということで、本当にレッド・ツェッペリンにとって大変な、特別な1年だったと思います。 |
ジミー・ペイジ(以下:J):たしかに、昨年はレッド・ツェッペリンとしての活動が多かった。70年代に公開した映画の『永遠の詩』に、今回は新たな素材を追加し、5.1サラウンドにする機会を与えられた。1976年だったはずだけど、『永遠の詩』は大都市ではサラウンド・システムでプレミア上映され、テクノロジーの発展につれて......、ああ、ちなみに、76年のプレミア上映ではサラウンド・システムだったかもしれないけれど、小さな映画館ではモノラルだったはずだよ(笑)。
とにかく、今回はこの作品に再び取り組むいいチャンスだったんだ。新たにミックスもしたし、追加の素材も加えた。それがひとつ。同時に、この発売に合わせて、『永遠の詩』のサウンドトラックもリリースした。70年代にもサウンドトラックは出ていたけれど、今回は僕たちがマジソン・スクエア・ガーデンでプレイした曲、全曲を出せることになったんだ。これは興味深いものだよ。というのも、僕たちがどのようなペースでやり、どうショーを組み立てていたかがわかるからね。
もちろん『マザーシップ』はもっとずっと共感できるような曲のコレクション、レッド・ツェッペリンの何作ものアルバムから曲を集めたものだ。僕たちは以前、『Early Days & Latter Days』という作品をリリースしている。今回はレッド・ツェッペリン的なアート・ワークになったけれど、『Early Days & Latter Days』は明らかにそうじゃなかったから、これは削除したんだ。手を加え、整理しないといけないことがたくさんあったよ。さらに、もちろんご存知のように、昨年末にはO2アリーナで一夜限りのライヴをしているしね。 |
――鮎貝:ありがとうございます。今、オーディオ・テクノロジーの部分での進歩の話ももちろんありましたけれど、敢えてこの時期にこの『永遠の詩』をリマスターしようと思った経緯、いつごろこのアイデアは湧いたのでしょうか。 |
J:『永遠の詩』は、もともと映画で、公開当時は映画館での上映のみのために作られた作品だった。実際、レイト・ナイトショーでの上映が長く続いて、カルト的なファンが土曜の晩に観に行って楽しんでくれたらしい。そのうちにVHSでリリースされたけれど、当時は、VHS形式でサラウンド・システムを提供できるような時代ではなかったから、あまり音響については深く考えなかったんだ。
サウンドトラックではサラウンド・システムを採用し、それはテクノロジー的には当時最先端の技術だったけれど、今回DVDとして再リリースするにあたっては、満足のいくものではなかった。というのも、DVDでは、サラウンド・システムはもちろんのこと、もっと何かしら新たに付け加えられるんじゃないかと思ってね。たとえば、これはけっこう重要な点だけれど、映画では盗難事件について触れられている。たしかに70年代後半から80年代前半にかけて、「盗まれたっていうのは、やらせじゃないか」って話題になっていたことがあった。映画をドラマチックにするためじゃないかってね。
でも、今回は、ピーター・グラントがうそ発見機にかけられるといったことで連れて行かれたり、記者会見を開いたりといったニュースの場面を入れることができた。つまりあれは、実際にあった大変な状況だったんだよ。それに今回は映像があった曲を新たに加えられたということで、僕にとっても君たちにとっても、よりほしいと思えるような作品ができたんだよ。 |
――鮎貝:昨年12月の再結成ライヴでは2時間を超えるパフォーマンスを見せてくれましたけれど、久々のこの再結成ライヴをやってみての感想、その再結成ライヴの本番に至るまでのリハーサル、当日を含めての何か面白いエピソードがあれば是非お話いただければと思います。 |
J:OK。レッド・ツェッペリンの4人のミュージシャンが......、もちろんジョン・ボーナムはおらず、ジェイソン・ボーナムだったわけだけど、前回ジェイソン・ボーナムと一緒にやったのは20年前のアトランティック40周年記念コンサートだった。ジェイソンは現在40歳だから、当時は20歳だったわけだ(笑)。僕たちはアトランティック40周年記念でプレイし、またライヴ・エイトでもプレイした。ただし、ライヴ・エイトではジェイソンではなく、それまでプレイしたことがなかった、会ったことすらなかったドラマーとやったんだ。大袈裟でなくリハーサルは1時間半、実際には1時間だったかな。ライヴ・エイトは一大イベントだったけれど、ほとんどの時間、僕たちはドラマーに「ロックン・ロール」のイントロをどうやればいいかを教えていたんだ。だから、どんなに大変だったのか想像がつくと思う(苦笑)。
この質問に対しては、4つに分けて答えよう。ひとつずつ訳してくれるかな。
つまり僕たちは、ジェイソンが入ったものと、入っていないもの、2度の再結成ライヴを経験しているわけだ。もしまたレッド・ツェッペリンがプレイする機会があるのなら、その前に時間を十分とって、しっかりリハーサルをするようにしたいと思ったんだ。質問のパート1の答えは以上だよ。
さて、残った3人のメンバー、僕とジョン・ポール・ジョーンズとロバート・プラントが、ビジネス・ミーティングをしていたときのことだ。しょっちゅうするわけではないが、僕たちは時折会っては仕事の話をするんだよ。このミーティングの際に、マネージャーのひとりから申し入れというか、こんな話の概要を聞いたんだ。「アーメット・アーティガン教育基金設立の動きがある。そしてロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで2晩ライヴをする企画があるけれど、そのうちの1晩に出演しないか」ってね。「他のアーティストも出演することになっている。レッド・ツェッペリンとしてはやりたいかい」ってね。それで、僕たちは、特にジョン・ポール・ジョーンズと僕は「ぜひやりたい。ただし、リハーサルを十分にさせてくれるなら」と答えたんだ。僕たちが出演するなら、これまで以上のパフォーマンスができるようにしたいし、僕たちがどんなバンドなのか、どういう意味をもったバンドなのかをはっきりさせられると思ったんだ。1980年にバンドが解散したときには生まれていなかった人たちにも、少なくともレッド・ツェッペリンとはどんなバンドなのかを十分にわかってもらえるんじゃないかってね。で、重要なのは次のことで、僕たち、ジェイソン・ボーナムを含む4人全員がリハーサル室に集まり、どうなるか様子を見るということだったんだ。
さらに、何よりも重要だったのは、リハーサルを始めたことは何があろうと秘密にしておくということだった。もちろん僕たちも、こんなに時間が経っていたから、自分たちの息がどれほど合うかよくわからなかった。でも、確信を持って言えるのは、僕たち全員、成功させたかったということだね。それは間違いない。こうして僕たちがリハーサル室に入り、4人でプレイを始めると、すぐに息がぴったりとあったんだ。ぞくぞくしたよ。でも、さっき言ったように人目を忍んでリハーサルを始めたはずだったのに、新聞に「レッド・ツェッペリンが集まってリハーサルをしている」「ツアーをするのではないか」と報じられたんだ。僕たちはうまくいかなかったらやめておこうと2日ほどしかリハーサルに取ってなかったけど、そのまま、ライヴに向けてのアイデアを練り始めたんだ。当初は僕たちの出番は50分間でと提示されたけれど、たかだか2日のリハーサルでも50分では少なすぎると思った。それで一緒にどの曲をどういうアプローチでどう表現するかを話し合ったんだ。この時点ではまだロイヤル・アルバート・ホールでのショーのつもりでリハーサルを進めていた。もともと2日間のコンサートが開かれるはずだった、ロンドンの会場のことだよ。ところが、リハーサル第2弾を始めてすぐに、またしても新聞に「O2アリーナでやるらしい」と書かれたんだ。正直、すごいプレッシャーを感じたよ。でも、僕たちは曲目を決めていき、ジェイソン、僕、ジョン・ポール・ジョーンズの3人のミュージシャンで何週間もかけてリハーサルをし、お互いのプレイが調和し、心地よく自信を持ってできるようになっていった。どうなるか様子を見るつもりが、実際、とてもうまくいったわけだよ。
僕たちはとても真剣にやるようにしていた。でも、同時に、僕はすごく楽しい時を過ごせたよ。リハーサルで曲目も決まっていき、とても順調だった。毎週、リハーサルを楽しみにしていたんだ。でも、すごく物事がうまくいっている時に限って何か起こるというもので、僕は手の指の3カ所を骨折してしまった。衝撃的だったな。これはまったく予想外のことだったよ。さっきも言ったように、何もかもがすごく順調なときに悪いことが起こるものだ。で、僕たちはライヴを2週間延期し、僕は理学療法を受け、ショーに臨んだんだ。ショーはすごく楽しかったよ。
レッド・ツェッペリンに対してみなさんが期待していることかもしれないけれど、毎週のリハーサルはどれもとても違うものだった。ミュージシャンたちがお互いにどのように交わるか、プレイしながらどんなリアクションをしあうかで、プレイや曲へのアティテュードという点では毎週すごく変化のあるものだったよ。だから、こんなに長い空白があったにもかかわらず、一緒にはじめたらあれほどスリリングに感じたんだと思うんだ。この4人の間で、すごく息が合い、エネルギーが生まれるのを感じたよ。 |
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以下、名メディアによる質疑応答。
――記者A:今回、ベスト・アルバムを出したり、ライヴをしたり、久しぶりにしっかりレッド・ツェッペリンというバンドに向き合って、何か新しい発見がありましたか。具体的なものがありましたら、教えてほしいと思います。 |
J:うーん、ないな。僕たちが昔から素晴らしかったということを僕がわかっていたという事実を再認識した以外、発見はなかったよ。一番大変だったのは、僕が実際にこのプロジェクトで作業をしたというわけじゃないけれど、レッド・ツェッペリンのトラックを聴いているときは、1曲聴き終わると、そのまま次の曲を、そしてまた次の曲をと続けて聴きたくなってしまうということなんだ(笑)。曲を作ったミュージシャンなのに、曲を聴くと僕はいつも新しいことを発見するんだ......。いや、実際には新しいことではなく、そこに前からあったものなんだけれど、新しいコンビネーションとか、ダイナミックさとかをね。だから、曲を聴いていて思ったことは、DVDの作業をしているときもそうだったけれど、自分たちが当時からどんなに素晴らしいことをしていたかということだったんだ。 |
――記者B:いつ日本でプレイしますか。 |
J:ちゃんと答えるためにも、もっと詳しく質問してくれないかい。 |
――記者B:他のメンバーと一緒になるべく早く日本でライヴをしてくださると嬉しいのですが、レッド・ツェッペリンとして日本でライヴをする予定は。 |
J:日本だけではなく、レッド・ツェッペリンのツアーとして話をしよう。すでにお気づきかもしれないが、O2アリーナでのライヴのために費やしたリハーサルや演出への時間と労力は、ワールド・ツアーをしてもいいほどのものだったけれど、実際にはたった1回のコンサートのためのものだった。O2アリーナでのライヴの1カ月後、僕たちはミーティングをしたけれど、ロバート・プラントは並行しておこなっているプロジェクトがあるので、彼はそのプロジェクトで9月までとても忙しいんだ。だから、現段階では特に"いつ"と言えることはないんだよ。 |
――記者B:とても明確な答えをありがとう。 |
J:明確に答えたいからね。 |
――記者B:もうひとつした質問については。 |
J:申し訳ないが、何だったかな。 |
――記者B:過去にはLPやCD、DVDの再リリースが繰り返されていますよね。レッド・ツェッペリンの音楽は大好きですが、今回の再リマスター作品も買わなくてはなりませんか。 |
J:いや、買わなくても結構だよ。わざわざ買ってくれなくてもいいよ。なにしろ、すごくよくて、僕は幸せなんだ。さっき説明したけれど、君は聞いていなかったかもしれないね。 |
――記者B:聞いていましたよ。 |
J:以前の『Early Days & Latter Days』は2作を合わせたものだろ。アート・ワークが本当に犠牲になり、最終的に、音楽のクオリティはいいけれど、アート・ワークの方は僕たちがレッド・ツェッペリンに求めるクオリティに達していなかったんだ。他の人がレッド・ツェッペリンに求めるクオリティにも達していなかったと思うし。僕らのアルバムの作り方に則った、もっといいアルバムにできたのではないかと思うんだ。すべてがもっとうまくできてよかったんだ。正直なところ、どんなバンドもグレイテスト・ヒットと呼べるような作品をもっているが、僕たちにはヒット曲がない。ただ、他より有名な曲やアルバムがあっただけだ。でも、自分たちが過去にしたことをまとめるということは、この先同じようなことを考えずに済むから意味があるかもしれない。君の質問の答えになっているかな。 |
――記者B:なっていますよ。 |
J:はっきりしたかな。 |
――記者B:よくわかりました。 |
J:ありがとう。 |
――記者B:決して買いませんよ(笑)。 |
J:買うんじゃないよ。君には必要ないよ(笑)。 |
――記者C:先ほどテクノロジーのお話が出たのですが、インターネットであったり、モバイルであったりという新しいメディアが登場する中で、それらのメディアを活用した新しい表現であったりとか、作品の発表の方法だったりというアイデアがあればお聞かせ願えればと思います。 |
J:ここにいる皆さんを驚かせるんじゃないかと思うけれど、僕はコンピュータを使わないんだ。でも、僕たちも最近はデジタル化が進んでいる。ダウンロードということを考えると、他の人たちのようにしていくだろうし、それがごく普通のことになっていくのではないかと思うよ。 |
――記者D:ジミーさんをとてもリスペクトしています。僕が訊きたいのは、同時期にブルース・ロックからハード・ロックに発展していったバンドがたくさんいたと思うんですが、レッド・ツェッペリンだけがこういう長い年月を経てもまだ愛され続けていること、今も新しいファンの気持ちをつかむことができることっていうのは、何が一番の理由だと思いますか。 |
J:まずはブルースとロックのことから始めよう。レッド・ツェッペリンのコンセプトとは、何よりもプレイの、ライヴの能力なんだ。僕はヤードバーズでプレイをし、アメリカでの2度のツアーをしている。よく知られた5人のライヴのヤードバーズではなく、4人に減ってからだよ。僕はアメリカのオーディエンスの反応に慣れていった。
で、当時のAMラジオ、たとえばトップ30のようなものには、ヤードバーズは所詮合わないと思ったんだ。僕たちは4ピース・バンドだったけれど、少なくとも自分たちがしていることを考えると、合わないと思ったんだよ。でも、FMラジオはLPの片面を全曲かけてくれるような方針だった。だから、僕にとってはこっちの方が合っている、アルバムで幅広い音楽をできるというのは明らかだった。なにしろ、僕はいろいろなもののいい所を取り入れるタイプで、当時からすでにワールド・ミュージック、フォーク、ブルース、ハード・ロック、アヴァンギャルドといった様々な音楽を聴いていて、それらがうまく僕たちのアルバムに入れられたわけだ。バンドとしては、なおさらそうだ。それが僕の見方なんだ。
でも、実際、不思議な力が働いたと言えるかもしれないが、この4人のミュージシャンが一緒になり、誠実に、すごく細かく、すごくハードに、すごくうまくプレイして、それぞれが自分の得意なものをバンドに持ち込んでいるから、アルバムも、アルバムのカタログも、ますますバラエティに富んだ幅広いものになっていく。どのアルバムも前作よりもまったく違っていった。
というのも、僕たちはシングルではなく、アルバムを作っていたから、どんなフォーマットも意識せずにやれたんだ。僕たちがいいと思う音楽をリリースすればいいという、自分たちのフォーマットだけを意識すればよかった。他の誰も僕たちを型に入れることはできなかったんだ。だから、その音楽のパワーが評価されているんじゃないかな。そういう部分が今も時代遅れになっておらず、楽器を弾く人にも新鮮に感じられるんだと思うな。レッド・ツェッペリンは、復活したり、一世代後の人たちが聴くというのではなく、毎年、僕たちの音楽を気に入ってくれた新しい人が聴いてくれる、それが続いているんだよ。 |
――記者E:若いファンを獲得しているというとですね、去年の復活コンサートに日本から沢尻エリカという21歳の女優が観に行ったのですが、彼女にコメントがあればいただけるでしょうか。 |
J:残念だけど、彼女のことは知らないからね(通訳:別に〜)。でも、会場の皆さんがこんなに反応するなら、お会いするべきだったかな(笑)。音楽活動を頑張って欲しいと思うよ。 |
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